【追悼 谷村新司】「昴」は真に日中交流の架け橋の「星」だった

哀悼 谷村新司さん さらば 昴よ
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谷村新司さんが10月8日に逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。谷村さんは音楽活動を通して日中友好活動にも尽力されていましたね。

今回は中国でも知名度のある谷村新司さんの死去についての中国での反応と、中国でも有名な谷村新司さんの歌について紹介します。

目次
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アジア、特に中国で人気だった谷村新司さん

谷村新司さんはアジア、特に中国でも活動されており、歌も本人の知名度もそこそこありました。先ずは谷村さんの中国での主な活動履歴を簡単に紹介します。

中国での活動履歴

  • 1981年 アリスとして初訪中。「北京工人体育館日中音楽会」でコンサート開催。当時の最高指導者である鄧小平も参観。中国において単独公演をした初の外国人ミュージシャンとなる(前年にゴダイゴも出演しているが単独ではなかった)。
  • 2004年上海音楽学院 音楽工程系常任教授 兼 中日音楽文化研究中心(センター)顧問に就任
  • 2004年中国の歌手毛寧のアルバム『我』をプロデュース
  • 2010年上海万博 日本イメージ大使に選ばれ開幕式にて「昴」を熱唱(イメージ大使は他には卓球の福原愛さん、デザイナーのコシノジュンコさんの計3名)
  • 2018年「日中和平友好条約」締結40周年の際『38年的星』コンサートを上海大劇院で開催

上記は中国(大陸)のイベントのみを記載していますが、香港、韓国、シンガポール、バンコク、ホーチミンなどのアジア各国で開催した「PAX MUSICA」の音楽活動を通して人気を博していました。「PAX MUSICA」は“アジアから音楽で、世界に平和をメッセージしていこう、アジアの国々を回って、音楽をする人同士がどんどんつながって、次の世代が発表できる場を作っていこう”をコンセプトに1984年に谷村さんが韓国のチョー・ヨンピル、香港のアラン・タムとともに結成したイベント・グループです。「音楽に国境はない」を信念として音楽を通した国際交流に尽力されていました。

1981年 アリスとして初訪中した際の「北京工人体育館日中音楽会」でコンサートの写真集「アリス IN BEIJING」
写真集『アリス IN BEIJING』の写真切り抜き

中国で「昴」が超人気の理由

谷村さんの楽曲は中国でも50曲近く翻訳されリリースされており、テレサテン(鄧麗君 故人)やレスリーチャン(張国榮 故人)、張学友(ジャッキーチュン 香港四天王の1人)ら大物歌手にも中国語で歌われており、香港・中国国内でもとても人気があります。

中でも1980年リリースの「昴」は中国語版タイトル「星」として超人気です。テレサテン(鄧麗君 故人)や関正傑、羅文らによって中国語で歌われ、「星」はほとんどの中国人が知っています。中国においてもカラオケでは40代以上の人であればよく歌われる定番曲になってます。私自身も中国での留学・駐在生活が長かったですが、カラオケに行けば「昴」を歌う中国人は多く、何度も中国語版の「昴」を聴きました。日本語学習者はオリジナルの日本語の「昴」をよく歌っていました。

実は「昴」が元々日本の歌であることを知らない中国人も多く、それほど「昴」は中国の大衆文化に浸透した歌なのです。「昴」は1980年にリリースされていますが、作曲時には一度も中国に来たことがなかったが中国東北の広い平野で満点の星を仰いで見ることを想像しながら歌詞・メロディーが浮かんできたと言われています。のちに「2009年に黄河の源を訪れた際に自身が作曲時に想像してた世界を本当に目にした。あぁ、「昴」の世界は本当に中国にあったんだ」という趣旨の話をテレビの対談で語っています。「昴」の世界観は正に中国の雄大な自然を表したものであり、中国人の心に響く要素があったのでしょうね。

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中国での反応(政府、メディア、SNS)

そんな多くの中国人にも親しまれていた谷村新司さんの訃報は中国のSNSやニュースでも取り上げられています。中国でも速報で伝えられました。微博(ウェイボ)の話題ランキングでは一時2位となり、追悼の書き込みが相次いだようです。

中国政府が哀悼の意を表明

谷村さんの訃報の報道を受けて、中国政府も報道官を通して哀悼の意を表明しました。

外交部の毛寧報道官は17日、定例記者会見を主宰し、記者からの「日本の歌手、谷村新司氏の逝去は中国で広く関心を呼び、多くのネットユーザーがソーシャルメディアで哀悼の意を表しているが、中国外交部はこれについてどのようにコメントするのか」との質問に答えました。

 毛報道官は、「谷村新司氏の逝去に対し哀悼の意を表すとともに、ご親族にお悔やみを申し上げる。谷村氏は日本の音楽界で有名な人物であり、多くの作品が中国で人気を博し、中国の人々に愛されていた。谷村氏は中日の人文交流に熱心で、中国で何度も公演を行い、音楽を通じて両国民の心の架け橋となり、実際の行動で中日友好に積極的に貢献した。谷村さんは亡くなられたが、その精神は生き続けている。中日両国の平和と友好の音楽を、より多くの人々が世代を超えて歌い続けていくことを期待している」と述べました。

引用元 中国国際放送 「谷村新司氏の逝去に哀悼の意=外交部」

日本人の歌手が中国政府から哀悼の意を表されるのはすごいことですよね。それほど谷村さんが日中友好の架け橋として活躍されたことが中国でも認められているということなんですね。

中国のSNS・メディアでの反応

中国SNS微博(ウェイボー)の検索ランクで一時2位となった
中国SNS微博(ウェイボー)の検索ランクで一時2位となった

中国のSNS微博(ウェイボ)の話題ランキングでは一時2位となり、追悼の書き込みが相次いだようで中国人の関心度もかなり高いことが分かります。また、中国新聞社、北京青年報等の各ネットメディアも「日本国宝級歌手」と形容した上で谷村さんの訃報を伝えております。

中国SNS微信(wechat)の「谷村新司」の検索リスト
中国SNS微信(wechat)の「谷村新司」の検索リスト

一部のネット民の声を簡単に紹介します。

ネット民の声
  • 初めて聞いて日本の歌が「昴」だった。とても悲しい。お悔やみ申し上げます。
  • 「昴」が中国の大自然を歌った歌であると知って谷村新司のことが好きになっただけあってとても悲しい。
  • 音楽に国境はない。マエストロ、お達者で!
  • 89年のテレサテンと合唱してたのを今でも覚えているよ
  • 「昴(星)」を聞いて半世紀近く経つけど、未だに歌ってるぜ
  • お達者でね。星の光が我々の前を照らしてくれるでしょう
谷村新司の訃報に対するネット民の書き込み
谷村新司の訃報に対するネット民の書き込み

谷村さんに対して「大師」という敬称がネット上でよく見かけられますが、これは”巨匠、グランドマスター、マエストロ”という意味で敬意を表した呼称です。国境を越えて本当に多くの中国人に愛されていたことが分かりますね

まとめ

今回は2023年10月8日に逝去された谷村新司さんの中国での人気ぶりについて紹介しました。谷村さんは故人となられましたが、谷村さんの歌は国境を超えて永遠に歌い継がれていくことでしょう。

改めてお悔やみ申し上げます。合掌。最後までお読みくださりありがとうございました。

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